やりたかった事が惰性にかわる話

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どうも、しばです。最近ごま油が切れてストックのごま油を出したらすでに賞味期限切れでした。時が経つのは早いですね。

最初はやりたくて始めたこと(やらなきゃいけない事)が続けてくうちになんでやってるんだろう。みたいな事ってありませんか?

趣味だったり仕事だったり、最初の目的があってそのためにやっていたこと(手段)がメインになる、例えば、仕事で作業するためにその場所を掃除しなきゃならない事があってきれいにしたら違うところが気になって作業に入れないとか

日常の例だと前に、私は休みの日によく外食をしていたんです。最初は好きで行ってておいしいと思っててよく通ってたんですが、ずっと通ってるとなんか惰性になってて休みだから行くみたいな。そいうのもありますよね。

あとは家でテスト勉強中の謎の大掃除とか(掃除至上1番はかどる笑)

そういう、気づいたら目的変わってたり、なんでやってるんだろうみたいな話をします。

熱中し過ぎると目的を見失う

冒頭では食事を例として挙げたのですが、何か挑戦している目指しているもので取り組んでいてやり続けているうちになんでやっているのだろうみたいな経験ってありますか?

熱中しすぎるとその目的を忘れて手段(行動)にばっかり目がいっちゃって肝心な事を忘れちゃいますよね。

私もなんか仕事でちょっと気になったところがあってやっていたら意固地になって続けてて気づいたら別にそこまでやらなくてもいいことだったり、変なことに囚われたり横道に逸れたりしちゃうんです。

そうなってしまった時、そのまま走り抜けれたらいいんですが、息切れしてしまうことがあってそのままエネルギー切れになってしまうので

その前にどう対処するか自分なりの答えは

私の中での解決方法は

まず、目的からズレてることに気づくことが前提ですけど

一回立ち止まって今私は何をしてて何を目的にやっているのかと自問自答します。そこで目的を確認しそこの道にあったやり方なのか考え修正します。

その横道が楽しくなったり(新たな道を生む)

その目的のためにやっていたことがなんか楽しくなっちゃう事もあります。

目的のための手段が新たな目的を生むパターンですね。

例えば、運動不足解消のためにウォーキングを始めたら大きな公園などを歩いていたら花や自然を見る機会が増え好きになるパターンがあったりしますね(多分ありますよね?)

好きな人と同じ部活に入りたくて入ってみたらその活動好きになっちゃうパターンとか?

自分個人の考えですけど結局人生を豊かになるのであれば最初の目的と違ってもいいかな

むしろいいじゃんって思います。

それが、生きがいになったり、何か挑戦しようとしたけど気づいたら違う道にいました。みたいな

※仕事が目的の場合は仕事もしましょう

まとめ(ひとりごと)

やっていることが次第にズレてたり違っていたら、目的がなんなのか見失わないようにする。でもそのやっている事がズレてしまったり違ったりしても、それが楽しかったりワクワクしたら、それを楽しんでもいいんじゃない。

それが人生の豊かさにつながるかもしれない

大人になったらそんな楽しいこと、ワクワクする事なんてそんなにないと感じてて、子供の頃はちょっとしたことが楽しかったしそのちょっとした事に夢中になってた

大人になってその感覚になることを大事にしたい。

わからないけどほんとの目的ってそっちなのかな

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